闇の中の眩光に向けて

夏から随分迷走してきた。

いろいろ回り道した結果、随分シンプルな結論に達しそうだ。
この頃バイクに乗る時間が都合上減ってしまい、理屈でこねくり回していたことが
裏目に出ていたようだ。

夏の北海道ツーリングでツーリング仲間と話して以来、随分自分のバイクとの付き合い方が
変わってしまったことが何か無くしてはいけない物を無くした様な感覚になり引っかかっていた。
それは多分寂しかったんだと思う。
以前は暇さえあれば早朝から目的も決めず何処かへツーリングに出ていたが
最近はめっきりそれも無く、ツーリングのための情報収集もほとんどしていない。
そういった部分が抜け落ちてしまって、自分の体幹部が空洞化したような虚無感に包まれていた。

その後の梨塾では気の入れ方も分からないような腑抜けた走りで何も楽しめずいた。

10月の筑波走行会の時には少し気持ちも回復していたが、それでも何か自分がナニを求めているのかハッキリしないまま走り始め、やり残しの夏休みの宿題を片付ける様に誰のためとも分からない義務をこなすように走っていた。・・・・ある瞬間までは。

筑波2ヘアの立ち上がり、塾長にインを刺されそのままウィリーしながら加速していく後姿を見たら
それまで悩んでいた色んなことがどうでも良くなった。
「細かいこと考えないで今は楽しみゃいいんだよ」
そうは言ってはいないかも知れないが、その背中はそう語っているように思え、気が付けば追いつくはずの無い背中を追いかけてアクセルはワイドオープン。
最終コーナー前のストレートでは初めてアクセルがストッパーに当たるまで回せる様になっていた。

今まで自分は足りない頭のくせに色々考えてその結果が出ないことに、何故だ。どうしてだ。と時間を浪費しすぎたように思えた。
もちろん考えて結論が出るならそれに越したことは無いが、それがうまく行かない今すべきことはそれではないように思える。
「結果的に楽しめなかった。だから駄目だ。」では無くその過程において楽しむ気持ちだったかということかと思う。今までは過程が弱かったのかと感じる。

筑波で見た、あの背中が語る今を楽むという気持ちになれるようにとりあえず走ろうと思う。

暗闇の中の眩光。
その途中には穴ぼこもあるかもしれない。
もしかしたら道はストレートでないかもしれない。
でも今はその方向に向かう以外やる術が無い。
ソコに行っても何も無いかもしれない。そしたらもう一度行く方向を探ればいい。
回り道も悪くは無い。迷い道にも拾えるものがあるはずだから。

そういえば、やり残しの夏休みの宿題は自分のためのものだったんだよね。

とりあえず茂原から。

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